遅くなりましたが、まずはご報告から。
先日シェアしました、未熟児で生まれさせてしまった赤ちゃん猫たち…
大切に大切にお世話をいただきましたが、3匹とも助かることは叶いませんでした。
猫の妊娠期間はおよそ2ヶ月。
その短い期間の中での1週間はすごく大きな時間。
それだけ早く取り出してしまえば、子猫たちの成長は相当不十分であったといえます。
預かって最期まで手を尽くしていただいた動物病院の先生も、
『こんな悪戯なことしちゃいけない』とおっしゃっていました。
私に子猫たちを委ねた、不妊手術をした動物病院の先生も、まさかこんなに子猫たちが頑張ると思わなかっただろうし、私も入院させるほど頑張ると思ってもみなかったと思います。
後日、他の用事で診察に伺ったときに、子猫たちを入院させたと話した時は『本当に余計なことをしてごめんなさい。あなたに顔向けできない…』と先生は終始うつむいていらっしゃいました。
悪気なんてなかったと、わかっています。
猫を臨月で不妊手術させるということ。
=お腹の赤ちゃんは堕胎(正確には違う言い方かもしれませんが)
ということ。
産ませるなら、わざわざその時期に不妊手術などしないでしょう。
それを理解された上での手術だと思っていた私の思い込みから、確認などしないままで手術を受けたことが一番いけなかったと思っています。
【※『臨月での堕胎』についての論点も大いにありますが、今回は私のした選択についての内容となっています】
今回、この小さな命を委ねられたことで私は考えさせられました。
私たちは妊娠中の猫の不妊手術をした際、胎児たちのことは獣医の先生方に任せてしまいます。
本来、取り出された胎児はお世話をされることなく、息絶えていきます。
預けた私たちは、その子たち(例え形が不十分でも)がどうなるかを見なくて済むわけです。
ましてや、今回のように臨月となると形もしっかり猫になっていて、柄もありしっぽの形も個性あり、普通に産まれる子とは大きさ以外なんら変わらない姿。
私たちはこうして、本来は赤ちゃんたちの命を先生に委ねてしまっているけれど、先生や看護師さんだって辛いことにちがいない…
子猫たちを看取ってくださった先生にそう言うと、
『そりゃ、僕もこういうことは経験してるけど、なるべく見ないようにしてる。』
そうですよね…
誰だって、心が痛むことなんですよね…
私は今まで、その痛みに気付かなかったわけじゃないと思う。だけど深く考えなかった。
その痛みを人に押し付けることって、保健所にペットを持ち込んで、殺処分させる人と同じなんじゃないか?
そう気付いた衝撃。
でも自分を責めてるだけでは変わらない。
同じことをしているという自覚を持って、今後に生かしていかなければいけない。
悔しいけれど、まだ今は諦めなければいけない、見棄ててしまう命もある…
本当にごめんなさい。
犬猫を助けたいと活動する者だけでなく、
堕胎手術をする獣医さん、
殺処分の現場で働く方々、
様々な場所・状況でその現場に携わる皆さま、
親子の絆を切り裂かれる悲しみの犬猫たち…
悲痛な叫びを間近に感じる方々が苦しむことがないようにするためにも、出来る限り適切な時期の不妊手術を粛々と進めていかなければいけないと感じています。
このような考えが浮かんだのは
子猫カフェ、サンクチュアリのオーナーさんの
『堕胎させようとした命を助けることに疑問』…という言葉を見たとき
私はハッとさせられました。
今自分がしていることの矛盾に一瞬は自分を見失いそうでしたが
それでも目の前の命を救うために力を尽くしてくださったり、今までの経験から感じることを話してくださったり、子猫たちのことも私のことも『受け入れる』ことを前提で全力で受け止めてくださったことに感謝しきれない想いです。
懐の深さには脱帽、です。
今回も皆さまからたくさんの愛を私はいただきました。
本当にありがとうございます🌼
たった数日しか生きられなかった中で、私への大きな学びをくれた小さな小さな命に感謝と深い愛を込めて見送らせていただきました。
いつまで繰り返したら終わるのだろう。
先はまだ見えないけれど、ひとつひとつ、進めていくしかない。
変わっていけるように。
最期まで手を尽くしてくださった獣医の先生、深い思いやりに感謝します。
外で暮らす猫たちの不妊手術、
犬猫たちと人を繋げる活動、
動物も人も豊かに暮らせる世の中になるように
これからも少しずつ動いていきたいと思っています。
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